飛騨高山の箸や女将のブログ 「食卓から幸せを」

笑顔の家庭を増やしたい!そんな思いを込めて。 箸だけにとどまらず豊かな暮らしが出来るようなお手伝いを。    

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「箸や 慶七郎」は飛騨高山にある三代続く箸屋のオンラインショップです。
   
    かたちある「心」で、満たされる「心」
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ハートやふくろうの形をした箸。伝統の技を活かした飛騨春慶箸。
使いやすさを追求したぐいのみ。
三代目の作り出す、「心」のこもったものたち。
「心」あるものを使うと、あなたの「心」も満たされる。

このブログでは三代目の思いや日々の仕事、家族の話もおまけに。。

みなさま、こんにちは。

「心」をかたちに
「箸や 慶七郎」 店長 ひがし めぐみです。


今日は箸についてのマメ知識!
「そもそも箸ってどこから来て、いつから使われてる?」 というお話。

10-2














みなさま、箸の発祥ってご存知ですか??

参考文献:以前ご紹介した「箸 著:向井 由紀子/橋本 慶子」 


箸の発祥の地域は「黄河文明の発祥地(中国黄河の中・下流域)」にあると言われています。

箸の素材は多くが植物性だったので、腐敗して形が残りにくいこともあり、
正確な時期はわかりませんが、黄河文明は紀元前5000年ごろですね。

石器や土器での生活が始まっていることから、獣肉や野菜を食べやすい大きさにし、
料理していたと考えられます。
そんな中で汁の実など挟みあげたくなったのか、
熱い食べ物を取り出すのに竹ぎれや枝ぎれを使ったのでしょう。
1本では食べ物を固定できないので2本になったとみられています。


中国ではその後日本とは違う素材や形になっていきます。
(日本の箸より長く、先は太く、匙とともに使うように)



日本で見つかっている一番古いものは
7世紀の遺跡、奈良県の「飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)遺跡」(642~)から出土したもの。

長さ30~33cm、先の直径は0.3~1cm
両端または一端を細く削ったもの

でした。今から比べるとずいぶん長いですよね。
これは祭器に使われたと言われています。


それ以前、弥生時代の遺跡「下曾我遺跡」(神奈川)からはピンセット状の箸が出土していますが、
神饌用(お供え用)や取り分け用だったと考えられます。
日常に2本の木ぎれより、わざわざ加工してあるものを使うとは考えにくいからです。


他には「藤原京跡」(694~710)、「平城京跡」(710~)からも出土しています。

この頃は現在と同じような形で、ひのきの箸でした。
宮殿の建築はひのきが主なことから、おそらくその廃材を利用したのでしょう。


箸が一般にも普及してきたのは、7世紀以降(平安時代)。


平安貴族は豪華な食器(銀製)を使っていました。
これは遣隋使など交流があったことから、もてなすために豪華になったとも言われています。
(中国で使われる匙もあったそう)

平安時代の庶民は竹か木製の箸と椀を使っていたとみられます。


いろんな文献から箸を使うようになった時代がわかるのですが、
それはまた次回!



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